気づきM@STER
『気づくことで人は変わっていく。』 をテーマに新米セラピストの「日々の気づき」をメモっていく。 そんなブログです。
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『股関節の伸展』への 気づき

『歩行に参画する多数の関節のうち、股関節の運動とそれに伴う感覚情報はCPGの活動に影響する。

  Grillnerらは、立脚期後半に股関節が伸展される際の筋紡錘からの求心性入力は、

  遊脚期への位相転換を担う股関節屈筋群の活動を喚起することを報告した。』

       (森岡 周:リハビリテーションのための神経生物学入門。協同医書出版社、2013。)



股関節の拘縮があって、歩容が悪く、疲労や痛みなどの訴えがある患者さん

リハビリを進めていくことで、徐々に良くなってきており、

体が左右に傾いた歩き方をしていたのが、だいぶきれいに歩けるようになってきた頃のお話


「一昨日から体がスーッと楽になってきました。」

「順調ですね。そういえば、今まで股関節の練習をいろいろやってきましたが、

股関節を後ろに伸ばす動きをしっかりと感じることが、足を前に出す時に大事だというのがありますよ」

「ちょっとやってみましょうか」

「はい。・・・こんな感じですか?」

(お互い、足を一歩前に出した状態になります)

「胴体から見て足が前にある感じ、後ろにある感じがわかりますか?」

「はい、わかります。」

「その感じが大事ですので・・・・」

「ん?」

「あれ?・・・ああ、なるほど。」


この時、私はあることに気付いたのです。


言ってる私が 股関節の伸展を感じていないじゃないか!?


ということに

そう このブログを前から読んでくださっている人はなんとなく記憶にあるかもしれませんが、

私は「つま先歩きをしている」と同僚に指摘されるような「ちょい普通でない歩行」なわけです。


頭の中でピーンとつながりました。

「ここが原因の一つか・・・。」


股関節の伸展が感じていないことが、股関節の屈曲を低下させており、

つま先歩きになっているのではないか、と気づいたわけです。


というわけで 自分リハビリ開始。


目標:股関節の伸展を感じよう

方法①:運動方向での比較(屈曲と伸展の違いを感じ分けていく)

屈曲:軽くなる。地面から足が離れるから軽い感じ。

伸展:痛みが出る。仙腸関節から大腿前面にかけてピリッとした線状の痛みを感じる。

屈曲:股関節を感じる。

伸展:骨盤に注意が向いてしまう。骨盤が伸展する感じで、下肢はそれについていってる。

伸展:屈曲した際の股関節の名残をキープしつつ、伸展方向まで持っていく。

伸展:なんか楽になってきた。痛みはほぼない。股関節の伸展を感じ始める。

ここまで右足


ここから左足

伸展:最初に戻った感じ。もう一度同じ感じでやってみる。


ここから両足を交互に(左右比較・運動方向比較)


体幹と骨盤の一体化と分化を感じる。スッとした体幹のイメージ。かっこいい。

股関節の伸展の感覚は出てきたけど、後ろに行った感じがない。


軸足を正中位に(体軸にそって)おいておけば、左右の比較で分かる。でも違う感じ。

伸展を感じようとすると体幹が前のめりになったイメージが浮かぶ。(閉眼)

開眼すると別に前のめってはいない。


逆に体軸に沿った状態を覚える。伸展が出来ていないことに気付く。


関節可動域が足りていないと気づく。


淡いけど、まぁまぁ感じるかな。という感覚が出てきた。


首に負担がかかっていることに気付く。股関節に注意を向けている間、下を向いている。(閉眼)

やはり股関節伸展位では頭から足先までがピーンと一本の前のめりの線になっているイメージが浮かぶ。


でも、痛みは完全に消えた。


・・・今日は、ここまでにしようかな。



今日の自分リハビリの成果は 

①「痛みが消えた」

②「可動域が足りないことに気づいた」

の2点


個人的には ②が非常に大切だと思う

だって 「可動域は足りるけど なぜか感じないだけ」 と思っていた自分に気づいたから



自分の知らない自分に出会うのは ドキドキして楽しい♪

頭でわかっているという知識と 身体で感じるということは 本当に別物だなぁ




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『患者さんの声が聞こえた!』への 気づき

今日は アドバイザーとして行っている病院での リハビリの日


一人は 歩行器で歩いてるけど 右へ右へ 傾いてしまう左麻痺の男性

一人は 認知症で転倒をきっかけ(骨折はなし)に 寝たきりになってしまった女性

の お二人が対象でした


一人目の男性は 座位の時点で 左への荷重を嫌がる傾向があり

見ているだけでしんどそうな座り方


左側に座り 「こちら側にもたれ掛ってください」と言っても 

注意はこちら側に向いているも 身体は拒否的でした

左側は危険な領域なのでしょうか 


まずは 安全な領域での「もたれかけ」を経験してもらおう

その中で 自分の体重への気づき 支えられているという安心を経験してもらいたい 

そう考えます


背後にまわり 私の体にもたれかけてもらいます

すると 力が入っていた身体から 徐々に力が抜け 安全な領域へ変わるのを感じます


そのまま 少しずつ左右・前後への荷重を経験してもらい

座位は安定へ


そのまま 地面と足底のカップリング 

接地面へ 注意を向けてもらい

立ってみると 


・・・ うん! しっかり立ててる!



そのまま 歩いてみましょうか

自分の体重にだけ 気を付けて 



歩行器はもう必要ありません

手すりは最初だけ

自然と 途中から手は離れました



病院の廊下を歩き 談話スペースで新聞を読み始めたので

私も隣に座り 読むのを待ちます


今日は 2時から宮崎県認知神経リハビリテーション勉強会

あまり時間の余裕はありません 

「ああ 間に合うかなぁ~」 と時計を見るのですが

いきなり外部からやって来て 私のリハビリに付き合ってくれたのだから 

せめて 新聞を読む間くらい 私が付き合おう

と のんびり まったりとした時間を経験します





二人目の女性は 認知症で骨折はしていないが 転倒の後 動きが悪くなってしまい

歩くどころか 座るのも難しい状態とのこと


私は 認知症の患者さんを対象にするときは 必ず

「患者さんに拒否されたら強要はできませんので その時はお役にたてません」

と 言っています


今までも

「いらん!!」

とか

「ああ?」と怪訝な顔をされたのちに 無視されてしまったり

決して 少なくはなかったのです


今回も 初めて挨拶をしたときは 発語は不明瞭 やや混乱しているような印象

全体的に拒否的で 見学のためついてきた看護師さん と 患者さんのヘルパーさん

二人とも リハビリはできないんじゃないかと あわてている感じでした

私の脳裏に 「ああ 今日は無理かな」という思いがよぎったのですが


その時 

発見します


患者さんの 右肩に張っている湿布に!!


「○○さん 肩が痛いのですか? 嫌ですよね肩が痛いのは たまらんですよね」

と 言うと

患者さんの言語がはっきりとしてきます 


・・・いや 今思えば

その瞬間から 彼女の声が聞こえだしたのかもしれません

私の中へ


そこからは冗談をふくめ 大阪人の話術で(笑) 

患者さんにも笑顔が出始めます


よし リハビリ開始!


彼女の対話(身体)から見るに

彼女は 前方への荷重を嫌がる傾向にありました 

前方は危険領域なのでしょうか



看護師さんに聞いてみます


「この方 前方に転倒したんじゃないですか?」

「えっ?いや・・たぶん尻もちをついたんじゃないかと・・・」

ありゃ?

「・・・いや待てよ あっ そういえば入院した時 顔に傷がありました」

ということは

「前に倒れた可能性もありますね」

やはり

「そういう場合 その方向を嫌がる傾向が出る場合があります」

「交通事故や転倒転落の恐怖が残っているというか ムチ打ちのような感じというか」


なにげに動機が 解明できた(?)ところで


前方の安心を 身体を通じて伝えていきます


そして 立位を取ったとき 

立位での安心を手に入れかけているとき 

彼女は 自然と足を一歩 前に出しました


「看護師さん 歩行器を持ってきてください」

歩行器という「前方への歩行のシンボル」があれば 後押しできるはず!

そう考え 歩行器を差し出すと

彼女は 一歩 一歩と 歩き始めました

そのまま 廊下をいくらか歩き


部屋に戻ってきたときに 彼女の口から

「○○さん(ヘルパーさん)ズボンが・・・・(ごにょごにょ)」

と 自分のパジャマを指して 何かを伝えようとしています


とまどうヘルパーさん

これは ・・・!

「外に出るなら パジャマはダメですよね」

と 言うと

にこっ と笑顔でうなずきが


「でも 今日はこれでおしまいですから 大丈夫ですよ」

と 言うと

「あら そうなの」 

と 笑顔

ヘルパーさんも笑顔


歩行器で歩いたことを伝えると 看護師さん 看護師長さんも大喜び




患者さんに共感する ということの大切さに気付いた

親父の入院でしたが(詳しくは「患者の気持ち 家族の気持ち」を参照ください)


「患者と対話する」という 認知神経リハでの言葉の中に含まれている

その意味の片鱗を 図らずも知ることになった出来事でした


共感した瞬間 彼女の声が聞こえだしたのは 私自身驚きの経験でした


担当させてもらった 二人の患者さんに感謝の気持ちです




患者の気持ち 家族の気持ち その④



「それでは オヤジの退院 と ウチらの結婚を祝って」 


「「かんぱーい!」」



のどを見ると 赤く 痛々しい傷跡が残っています

そして声は少し控えめ でもいつもの表情 

そんな父との再会

場所は 宮崎

時は 7月

緊急入院から1か月半後のことです



・・・

少し時は戻って 場所は大阪の病院

気管切開後 

会話はできないのですが 小さなホワイトボードで筆談をします

職場の人への連絡

銀行などへの振込み

自宅から必要なものを持ってくること などなど

口パクと筆談で 次々に指示を出してくる 元気な父


そこからの回復は順調で

徐々に のどに入れている管を細くしていき

指でふさいでいる間は 声も出る スピーチカニューレになり

そんなこんなで

だいぶ元気になってきており 私も安心していたのですが

母は少し浮かない顔

「どうかした?表情がよくないけど」

「それがね 寝ている間悪夢を見ているのか うなされているのよ」

「まぁ あんだけのことがあったからね」

「かわいそうね」


少し眠っては悪夢で起きる そんな時期もあり

それでも 時間とともに 徐々に安定して寝れるようになってくれました


ここまで 順調に来ていましたが

傷口がなかなか塞がらなく 退院の時期は予定より伸びてしまいます


もともと 顔合わせ(妻と両親)に予定していた飛行機で帰る予定だったので

帰りの飛行機は決まっています

もう 帰らなければなりません


宮崎を出てから 10日くらいになります

患者さんのことや 職員のことが気がかりです


まだまだ回復途中ですが また宮崎での再会を約束して 私は宮崎に帰ります



そして


その後 2週間かかり退院した父は 1週間の慣らし運転をはじめ

無事に職場復帰をします


電話でも順調な社会復帰ぶりを聞いており 安心していました

そして 7月に両家(私と妻の両家)の顔合わせが 無事宮崎で済み

宮崎滞在の最終日 妻と私の両親とで なじみの居酒屋で食事


そして 最初の乾杯につながります


この食事会では いろいろな気づきがありました



ほくろを ひげを剃るときに切られてしまって 

涙を流すジャスチャーで教えてくれた

そんなエピソードがあったの 覚えていますか?

あの時 「痛かったんだねぇ」 と思っていたのですが

実は 痛みはなかったようです


「あっ イボを切っちゃった どうしよう」

「止血して 保護しとこう」

その看護師(助手さん?)の話が聞こえていたみたいで

その会話から 「ああ 切られちゃったんだ(泣)」

というのが わかったそうです

痛みや感覚はなかったそうです


よく 「意識がない状態でも 耳は聞こえているよ」

なんて話 聞きますが まさに同じ状態だったようです


また 当時の話を聞くと まず時系列がめちゃくちゃで

誰が見舞いに来た どういう経緯で今の状況になったとか

それは ほぼ間違っていました


特に最初の病院での出来事は 挿管した時に苦しかったこと以外は

まったくわかっていませんでした

ほくろをそられたのも 次の病院での出来事だと思っていました


つまり 挿管された状態で その苦しさ 管を外せ! というジェスチャー

ほくろをそられてしまった (泣) のジェスチャー

会社に電話しろ と 必死に指で文字を書いていた ジェスチャー


これらは すべて意識がない状態 (正確には 記憶にない状態)で行われたこと

なのです


これは私も予想していたので 母に

「大丈夫 たぶん覚えてないから」

「本当に? こんなに苦しい記憶があったら かわいそう」

「最初のこの時期のことは 大体の患者さんが覚えてないから」

と 伝えていましたが やはりその通りだったようです


そして 話は 転院した後 気管切開をしたあと 

徐々に 意識がはっきりし始めたころのお話へ


「曼荼羅みたいな 丸いものがあって 英語みたいな文字がいっぱい」

「そう その文字が 螺旋階段のように続いていてな」

「不思議な音楽が響いていて」

「ふと右を見ると墓石が置いてあったんだよ ギョッとした」

「ああ これが死後の世界か って思ったなぁ」


この言葉に似た言葉を 昔患者さんから聞いたことがあります

「先生 なにか○か□のものが浮いていて その中に記号が書いてあるんですよ」

通過症候群ののちに 意識がはっきりした患者さんの言葉です


もしかすると これは 「言語」に関する方言なのではないかと思います

記号に ○や□などのカテゴリーを感じます


時も場所も全く異なる二人の 似た発言にびっくりです


そして 右にあったという墓石は 人工呼吸器ではないか

当時 気管切開後 急変に備えて

人工呼吸器が置いてありました その「視覚」的映像が墓石を認識したのではないか

なんて 予想ができます


そんな話をしていると 父の表情が曇ってきました

「もういいじゃないか あまり思い出したくないんだよ」

「そりゃそうだよね OK ありがとう 興味深い良い話が聞けたよ」


「なにはともあれ 回復おめでとう」

「ああ ありがとう」



その後 父は いつものように仕事へ行っているようです

まさに九死に一生を得る そんな出来事でしたが

私にとっては 貴重な体験でした



振り返れば


深夜の電話から 朝一の飛行機で大阪に飛び

点滴とモニターと父親の3点確認をし続ける あっというまの一日

挿管している状態のきつさを訴える父の顔 それを泣きながら制止する母の顔

食欲がないのではなく ああそういや何も食べてなかったっけ という感覚

自分の体を忘れているという感覚 また 思い出す感覚

救急車に乗る父と母 それを待つ時間の長さ

自信を持って話す主治医の頼もしさ

気管切開の間の待ち時間 

筆談でのコミュニケーション

そして 

当時を振り返った時の さまざまな不思議体験

無意識下での運動 ジェスチャー

なぞの文字の羅列 記号と模様



いろいろな気づきの中

宮崎に帰った私にとって一番変わった点 といえば


リハ開始初期 患者さんや家族にあいさつするとき

「大変でしたね 心配しないでくださいね」

という言葉から 挨拶するようになったことかもしれません


いままでは

「リハビリを始めますので よろしくお願いします」と

セラピスト側からの一方的な言葉で

少なくとも 患者さん自身や家族の気持ちと“共感”する

その点にかけている気がしました



「この気持ちは 絶対に忘れてはいけない」 と自分に言い聞かせています




・・・というわけで 全4回にわたった

この 「患者の気持ち 家族の気持ち」シリーズですが

いかがだったでしょうか?

もう少し私に文才があれば 面白くかけたのかもしれませんが

これくらいが 精一杯です(笑)


いまだに私の中では 5月から時間が止まっていて

「ん?もう3か月たったの? つい先日のような気がするよ」

なんて

今回の出来事は 私の中の『時間』に大きな影響を与えてくれたようです



ここまで 読んでくださって ありがとうございましたm(__)m



患者の気持ち 家族の気持ち その③


「すぐに転院です。ここでは専門の医師もいませんし、問題外です。」

耳鼻咽喉科専門医の この一言で始まった 父親の転院


次に行くのは K大学病院

向こうの先生から指示があったのか 

「お薬追加しますね」 と 

眠れるように麻酔と抗生物質に加え ステロイドを追加

すると 今まで苦しがっていた父親が 眠ってくれるようになり

本格的な点滴が始まったとこで ようやく回復への兆しが見えかけます


そして 転院の手続き

「明日の10時、救急車で出発しましょう」

救急車には母親が乗り 私は父親の車で向かいます


大阪に帰省することは年に数度あるのですが 父親曰く

「お前の運転はあてにならん、怖いわ(笑)」 ということで運転をさせてくれないので

(まぁ 私も宮崎では 父親にあまり運転させませんが ※お互い様 )

大阪での 道路を全く覚えておらず 土地勘も偏っているので

母親の職場の人や 看護師さんにK大学病院(転院先)までの道順を聞き 予習


そして 当日 救急車のほうが明らかに速いので

少し早めに出発

救急車で容体が急変したりしたときのため 主治医も同乗してくれたのでちょっと安心


慣れない大阪での運転 慣れない父親の車での運転と

ドキドキな片道1時間のドライブでした


大学病院は大渋滞で 病院にはなんとか到着したものの

駐車場に入るのにかなりの待機時間が

ジワジワとしか動かない車の列に焦り始めます

「救急車が今きてしまったら 合流できないぞ(汗)」

なんとか駐車場に止めた後 救急車の停車予定地へダッシュ

救急車の姿が見えないので 病院の職員に確認すると まだ来てないとのこと

ひと安心


その後なかなか姿を見せない サイレンの音だけが一瞬聞こえるも

姿は見せず


待っている間 思い出すのは 宮崎での勤務先でのこと(ウチの医院)

「「ピーポーピーポー 左に曲がります」」

「あっ ウチだね」

「ベッド空いてるから 入院もあるかもね」

「新患さん出たら 俺大丈夫だよ~」

とか なんとか 

救急車というと いきなり来て すぐに到着

そんなイメージを無意識に持っていたのですが


この救急車を待っている時間の 長いこと長いこと

乗っている家族の気持ちも少し察しました


ということで 無事到着

救急車の中で ぐっすりと眠ってくれていたようで 特に問題もなく

転院の手続きに入ります

ストレッチャーに乗せられ 病院中を大移動 (やはり大学病院 大きい)

廊下を行き交う人の波を割って 

向かうは 耳鼻咽喉科の外来診療部


しばし待って 担当医の説明

これまた若い医師 しかし どうもあっさりしている感じで

「挿管しちゃってるんで (のどの様子が)見えないんですよ」

「一回抜かないと どうしようもないですねぇ」

挿管の苦しそうな姿を見ていた私にとっても はやく抜いてもらいたい

「気切でしょうか?」

「そうですね また担当の者が説明しますね」

(あれ?この先生は担当じゃないのね)


「それでは今から 写真(画像)を撮りに行きます」

再び人の波を割って移動し 検査室へと向かう中

私と母は 前の病院で言われたことを説明します

・急性喉頭蓋炎じゃないかということ

・挿管までの経緯

・挿管での歯が欠け 気管に入ったこと

・肺炎になりかけていて かなり重篤なこと などなど


聞いていくうちに 先生の表情に変化が

「えっ? へぇ はぁ? ほう」

(なんでそんな治療してんだという 疑問の表情してますよ 先生)

と 心の中でツッコむ私


とくにびっくりしてたのが 「挿管で歯が気管に入った」

「前の病院では ほおっておいて大丈夫」と言われたのですが

と 言うと

「その時は 取り出すことも可能ですけど」 普通気管に入れるかぁ?と怪訝な顔


そんなこんなで 検査を終え

病室に案内されます 


ついたのは4人部屋

前居たのが処置室だっただけに 部屋が大きく感じます

昔6人部屋だったのを4人部屋にした感じのつくりでした

椅子もしっかりと座れるもので 嬉しい(前は小さな丸椅子でしたので)


その後しばらくして 主治医の説明


今 父は命の危機に瀕してる というイメージの私と母は 

まったく見えない回復への見込みを そこでようやく得ることになります


このままではのどに管を入れる検査ができなく のどの様子が見れないので

気管切開をするという話

この病気は 最初の窒息が一番危なく

今回は挿管をしてくれているので 手術中に死ぬことは極めて少ないだろうという説明

胸の画像を見ると 肺炎ではなく胸水がたまっている感じであること

気管に入っているという歯は 写真に写っていませんよという話

(入っているという前提で再検査をしてくれ その後に食道に入っていたことが判明)


私は一番聞きたかったことを質問します

「命は大丈夫なのでしょうか?」

すると

「問題点はいろいろありますが 大丈夫ですよ」 と


「それでは手術の準備ができたらお教えしますから」

説明を受けたのち 私と母は病室に戻ります


「よかったね なんとかなりそうで」と私

「前の先生 やっぱり自信なさそうだったもんね」と母

私も前の病院には思うところもあるものの

「いいじゃないか あそこで挿管してくれたから今があるんだから」

「それはそうだけどね」



自宅からこの病院までは 車で1時間

深夜息苦しさを訴えてから 最初ここに向かっていたのでは間に合わない

もしも途中で意識消失 呼吸停止で車を止めてしまえば

運転ができない母では どうしようもなかった ジ・エンドです


母が 嫌がる父を 病院に行かせなければアウト

途中で悪化したらアウト

最初に行った病院で 医師が挿管ができなければアウト

その後 耳鼻咽喉科の医師が転院を進めてくれなければ そこでアウト


何とも言えない薄氷の上を綱渡りのようにわたってきた 私の父

「きっと大丈夫 こんだけ運の向いている人が そう簡単にはやられないさ!」

と 母を励まします


予定時間を超えての手術(のどを切って気管に空気の通り道を作る)に

ドキドキしながらも(大学病院なので 学生に指導しながらなのは ご愛嬌)

無事に終わって 口から管が抜けている父を見たときは 本当にうれしかったですね


時間外 付き添いの許可は一人だけだったので

母を残し 私は自宅へ向かいます 妹に晩御飯を食べさせなくては


その次の日の朝だったでしょうか

妹を学校に送り出し 病院に必要なものを買い揃えてから

まだまだ慣れない運転をしていると


「ぐ~」


おっ!?

おなかが鳴った! 


「そうかそうか 腹が減ったのか」

車の中で ひとり言

「すっごい久しぶりの感覚だなぁ そうかそうか お腹がすいたのか~」

自分の身体に話しかけます


『人は悲しいから泣くのではなく 泣くから悲しいのだ』

なんて 誰かの言葉を思い出しながら


「さて! じゃあ 病院まで頑張ってついたら なんか食べような!」

と 久しく忘れていた自分の相方に話しかけながら 車を走らせるのでした



               ~患者の気持ち 家族の気持ち その④ に続きます~


患者の気持ち 家族の気持ち その②

挿管された父親の姿 

左側にはモニター 心拍数・心電図・SPO2 

右側には いくつかの点滴がポタポタと


この3点を 繰り返し 繰り返し 繰り返し

目で追っていると 気が付けば数時間たっている

そんな時間の不思議を感心しながらも 視線は律儀に3点確認


そうこうしているうちに

私(長男)が来たことを看護師より聞いたのか

主治医が状況説明に来ました

若い先生でしたが この人がいなければ昨夜の挿管劇はなく

今日 父の顔を見ることなかったと考えれば 感謝に感謝でした


「お父さんは 非常に重篤な状況です」

「っ!!・・・・・・」

「この肺の写真ですが・・・」

写真をみながら 説明してくれたのは だいたいこんな感じ

肺が全体に白くなっていて 肺炎になりかけている とのこと

そして 挿管時に前歯が欠け それが気管に入ってしまっていること

治療は抗生物質 それで様子を見るとのこと


泣く母を励ましながら 病室に戻ります


そこからが 個人的にはキツかったです



鎮静薬のプロポフォールを使っているのに なかなか眠ってくれず

のどの違和感と 苦しさを家族に訴え

管を外そうと 伸ばすその両手を 家族が抑え

ジェスチャーで 家族に無言の怒りをぶつける父

「わかってる!もうすぐ外れるから!苦しいよね!もうちょっとだから!!」

泣きながら父の手を抑える母

看護師さんに 薬の増加をお願いするも それでも眠ってくれず


ようやく落ち着いてきたかなと思えば

挿管している気道のパイプに 酸素と水蒸気からの水滴がたまり

そのせいで 息が苦しくなるのに 

看護師さんは モニターのSPO2が低下して アラームが鳴らない限り

それには気が付かない


だから 私が言いに行く

心では 

(医療従事者があれこれ口をはさむのは歓迎されないだろうな)

と 言いづらい気持ちをグッとこらえて

「すいません、水がたまって苦しそうで サーチも下がってきていますし・・」と



私には 一人妹がいます

いま高校三年生の妹に 晩御飯を食べさせなければいけないので

母は病院にずっと付き添いをしていますが (小さな丸椅子に24時間!?)

私は夕方には帰らなければなりません


それがまたキツいのですよ

苦しがっている父親の姿が 目を閉じると浮かんできて


胃が痛くて食欲がない なんてこと たまにありましたが

今回は初めて

「別に食べても食べなくてもどっちでもいい」 という気持ちに


というか

「ああ 夜になるまで何も飲み食いしてなかったんだなぁ」

と しばらくしてから気づき

でも やっぱり

「別に食べても食べなくてもどっちでもいいや」

になるのです


しかし 妹には食事が必要 

じゃあ何か買いに行こう となるので

妹がいなければ 夕食すらとらなかったことでしょう

妹にも 感謝 感謝


そりゃあ2~3日で 体重が5kg以上減るわなぁ



治療の効果も見えず むしろ悪くなっているかのような父

希望はないのかと 家族も疲弊していく

そんな地獄のような3日間を過ごします



その中で なかなかかわいそうだったエピソードを一つ


「清拭をしますので」 と 准看さん?助手さん?が言うので

病室の外で待っていました


いくら待てど 終わりましたの返事は来ず


何度か様子をうかがうも いまだ作業中


いくらなんでも さすがにと思い部屋を見ると もぬけの殻

(「終わりましたよ」とかヒトコト言ってくれても・・・)と思いつつ

ベッドサイドに近寄ります


そして 数分後 「あれ?」と母親

「どうしたの?」と私

「なんか鼻の下のところが黒くない?」

「ああ、本当だ なんだろう?」


「「あっ!」」


うちの父親は 顔や体に イボがいくつかあるのですが

どうやら そこから血が出ていて 小さな絆創膏で押さえているのですが

ふちから血があふれ それが固まったので 黒く見えていた様子


「うわー かわいそうに」と 二人


「きっと さっきの清拭でひげをそってくれたはいいけど イボごとそっちゃったのね」

(せめて ヒトコト言おうや・・・)


すると その話を聞いていたのか 父親に動きが


手で剃刀を持っているジェスチャーで ひげをそる動き

そして 両手で涙が流れる動き

ああ 「剃られてしまって痛かった(泣)」と言いたいんだろうね

と 苦笑いの 母と私


※このエピソードは後々重要になってきますので頭の片隅に入れておいてください。



まぁ そんなこんなな3日を過ごした後

ふと 転機が訪れます



主治医の先生が 

「耳鼻咽喉科の先生が今日はいらっしゃるので 診ていただきます」

と言ったのです


これまた若い女性の医師 大学病院からの週一での派遣だそうで

彼女はこう言いました

「すぐに転院です。ここでは専門の医師もいませんし、問題外です。」


えらくバッサリというなぁ と こっちが内心ひやひやものでしたが

その一言で 耳鼻咽喉科の高度医療が受け入れられる 大学病院へ



この大学病院で 私たちはようやく一息つくことができるのでした

そして プロとは何かを感じるきっかけにもなるのです


この女医さんにも 感謝 感謝




             ~患者の気持ち 家族の気持ち その③へ 続きます~






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Author:コトリスキー
リハビリとNGCをこよなく愛す
ニコニコ動画大好き理学療法士です


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